洞斎山人日乗

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。

早や7月

日曜日にあべれいじがのたまったとおりで、一年の折り返し地点を過ぎてしまった勘定だ。早い。毎年毎年早い早いと口走っているうちに会社暮らしも十有余年。大して賢くなった気はしないが、まあ当初の箸にも棒にもかからぬ状態よりは、幾分マシになったことだろうと信じる。
戦争がらみで昨今失言だの、改悪だのがかまびすしい。政治家の失言なんて年中行事みたいなもんだが、選良ともあろうものが余りに不用意な発言で評価を下げるというのは、どうにも情けない。その程度の政治家しか出てこないのが日本の程度を示しているのだろう(どこも大して変わらない気もするけど)。彼らをけなすこと即ち天唾である、この程度の自覚は持っておくべきだろう。
戦争と政治といえば、上手く戦争を始めて上手く戦争を収めるというのは、政治家の重要な勤めだろうと思う。戦争は、今や一般的には、外交手段のうちの下策の下策であり、やるからには勝ちに至るストーリーを、兵站だの資・機材の調達だのと言った、物的・人的資源の確保・流通施策付きで、かつ締めの外交交渉も含めて描ききっておくべきだろう。ブッシュ政権はそらに恣意的な絵を描いて、得意満面強引に絵に仕立てようとして、今やキャンバスの上はぐちゃぐちゃだ。二次大戦中の日本に至っては、そらに妄想で絵を描いて、キャンバスに落とそうとしたら絵の具が足りない、キャンバスは広すぎる、時間も無い、カネも無いと、無い無い尽くしに気づいて総討ち死にという、物凄いことをやってのけた。
こういう「政治の役割」に対する認識について、どの程度の認識を、国民のうちのどの程度の割合が持ちあわせている、という種類の統計は、考えてみれば、見たことが無い。これはマスコミと政治学者の怠慢ではないかい?・・・・・なんて、日和見お気楽族の筆者子が書いても、説得力が無いなあ。
以上この段終わり。