洞斎山人日乗

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。

風物詩

この季節の風物詩たる生き物と問われれば、蛍と答えるのが相場であろう。しかしながら本日記の筆者子は世を憚る偏屈漢であるので、このまま蛍を語るわけには参らぬ。大体、2日前既に話題に載せているではないか。

この時期、昼間は何も無かった窓辺や街路灯近くに、夜になると忽然とクモの巣がわいて出ていた、ということに気付くことがままある。このクモの巣の製作者にして住人が、オニグモの類の蜘蛛である。彼ら彼女らは、真昼間は天敵の鳥に見つからぬよう、巣の張り場の近くの隠れ家・・・ちょっとした隙間なんぞを見つけるわけだ・・・に潜んでいるが、日が沈んだ後たそがれ時になると、隠れ家を這い出て、棲み家兼食料供給装置である大事な網を新たにこさえる、あるいは先にこさえた網を繕ったりするのだ。そして、夜中一杯を網の真ん中で過ごし、獲物がかかれば優雅に食事なぞ致したりする。

その昔、社会人になりたての頃、田んぼの真ん中のアパートに住んでいた。会社を定時に退いて、大飯を食らい、もう食えんなどと呻きつつ、腹を抱えるようにして畳の上に寝転がり、何をするでもなく暮れなんとする夕方の田園の景色を眺めていると、カエルの大合唱をBGMにして、オニグモが数匹、ベランダのアルミの手すりに巣をこさえているのが目に入った。彼ら彼女らは毎日飽きることなく、夕方になると網の上をぐるぐる回って新たな粘液を網に注ぎ足しており、網に引っ付くご飯を一つも逃すまいぞとの決心を日々堅くしつつあるが如き、なのであった。

筆者の父親に当たる仁は田舎某所に住まっておるが、その家の駐車場付近に巨大なオニグモが一匹棲みついている。こやつは足の端から端までの体長が5センチにもなんなんとする大物であり、色艶も押し出しも至極良立派である。筆者は蜘蛛界における相当の顔役であると睨んでいるところである。夕方までは駐車場の屋根の隙間のどこいらかに潜んでいるらしいが、辺りが暗くなると、悠然と巨大なる網に姿を現し、真ん中に黒々と居座るのである。何年か前にも、こやつに匹敵する大物がいたが、その子孫なのだろうか?
今、このオニグモは筆者と筆者の親父の絶大なる尊崇を受けているが、同時に筆者の同居人および母にあたる仁に多大の恐怖を与えている。筆者はこの手の妙な生き物が大好きなので、オニグモ氏あるいは女史には長生きしていただき、無事子孫を残していただきたいと、願って止まないものである。

かくのごとく、オニグモが梅雨時を彩る生き物図鑑において、無視すべからざる興味深い生態と存在感とを持つ旨、もはや一点の疑いをも入れ余地は無いものと、筆者子は考える。この季節の夕方から夜のひそやかでちょっと不気味な風物詩として、微妙に愛でて見るのも一興ではなかろうか。