洞斎山人日乗

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。

変わったから驚くこと、変わっていないから驚くこと

 先日、私用で、久方ぶりに東京に行った。
 東京駅やら新宿界隈の相も変わらずの雑踏振りに、同居人と二人で驚き呆れつつ(田舎者根性丸出しのリアクションとも言う)、空いた時間を利用して、筆者が学生時代に住み着いていた辺りに行ってみた。


 変わったから驚いたのが、国立。
 国立は良く訪れた町だ。駅前から南に向かって伸びる大学通り界隈が、空が広くて、好きだった。

 久しぶりに訪ねてまず驚いたのが、駅のホーム。島型ホームに変わっていた。昔は上下線の計2本のレールを挟んで、上下のホームが向かい合わせに鎮座していたのに。
 衝撃も覚めやらぬうちに目に入ったのが北口のマンションの群れ。建っている、なんて可愛げのある風情ではなく、立ち並んでいる。林立ではないか。雨後のたけのこの如し、だ。
 憤然としつつホームを下り、改札を抜け、駅を振り返ったとき、アッパーカットが飛んできて、筆者の貧弱なるあごを砕き、アワレ筆者はリング場外に弾き飛ばされてしまった。
 あの赤い三角屋根の駅舎が、影も形も無いではないか!
 風情も何も無い(仮と思いたい)駅舎の背後には、やはり風情の無いマンションの群れである。


 変わっていないので驚いたのが、国分寺の元・わが下宿。

 わが学生時代のは既に築30年をはるかに過ぎ、地震が来たら一々窓枠が軋みを立て、柱と壁には微妙な隙間、騒げば隣のおっさんに怒鳴られる、風呂なし便所共同4畳半都市ガスは使えないよ、のわが下宿、観梅庵よ。立ち去ってから既に十余年。大家のじいさまもいい年だったから、いくらなんでも取り壊されて立て替わっているであろう。そう思いつつ、学生のころ歩いていたとおり、下宿への道を歩いていった。

 角のところの駄菓子屋と八百屋が商売をしていないことを確かめつつ、下宿に向かって曲がると・・・・。

 ・・・・あるじゃん。

 まだ立っていたのだ。十四年前と替わらぬ佇まいだ。外見から判ずるに、特に手を加えた様子も無い。学生だったころのまんま、そこに残っていたのだ。住んでいた2階に上がれるかと思い、階段の入り口にドアに手をかけてみたが、鍵がかかっていた。貸間は止めたらしい。
 横に回って、自分が住んでいた部屋を見上げてみた。
 うちの親父とすえつけた物干し竿が、そのまま残っていて、驚いた。支えの角材の色の具合が、歳月を語るかのようだった。その向こうには、これまた変わること無く、梅の枝が幾本も伸び、満開の白梅が枝を彩っていた。


 一期一会という言葉を噛み締める東京行であった。